今日は本堂の前に白龍さまの新しいお社を設置する工事がありました。
3月19日(木)13:30から白龍さまの鎮座式を行います。
どうぞご一緒にご参詣ください。
お問い合わせは 平田寺まで
tel 0568-48-6806
e-mail yumikoon@gmail.com
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今日は、5月5日の黒池龍神王遷座式に向けて
境内と参道の除草作業を行いました。
初夏を思わせる陽射しの中、
いつもお寺を支えて下さっている檀家さん方にご協力をいただきました。
と き 5月5日(土・こどもの日)
午後 5:00 放生会 金魚の稚魚を龍神池に放流します
5:30 慶賛法要 於 本堂
6:00 千灯供養 ご参詣のみなさまと共に手渡ししたろうそくの
灯りで境内を彩ります
7:00 遷座式 新社殿へ龍神様をお移しする儀式です。
ところ 平田寺 境内
※当日は、北門入口を閉鎖いたしますので、山門よりお入りくださいますようお願い申し上げます。お車でお越しの際は、参拝者駐車場(庚申寺跡地)をご利用下さいませ。
黒池龍神王の新社殿が、間もなく完成します。
5月5日の午後5時から社殿のお披露目を兼ね、遷座式を行います。。
●と き 5月5日(土・こどもの日)
午後 5:00 放生会 金魚の稚魚を龍神池に放流します
5:30 慶賛法要 於 本堂
6:00 千灯供養 ご参詣のみなさまと共に手渡ししたろうそくの
灯りで境内を彩ります
7:00 遷座式 新社殿へ龍神様をお移しする儀式です。
●ところ 平田寺 境内
※当日は、北門入口を閉鎖いたしますので、山門よりお入りくださいますようお願い申し上げます。お車でお越しの際は、参拝者駐車場(庚申寺跡地)をご利用下さいませ。
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【黒池龍神縁起】
今から400年ほど前、寛永3年(1626年)の夏、尾張地方は、大干ばつに見舞われました。この日照りに困り果てた九之坪村の村人たちは、平田寺二代・快巌儀雲大和尚に、雨乞いを求めました。快巌和尚は龍神が棲むという隣村・高田寺の黒池(大山川堤防西)に出向き、祈祷をし、池に経文やお血脈を投げ入れ雨を祈り、老翁の姿をかりて現れた龍神に、禅の法を解きました。この法に真の悟りを開き、慈悲の心をもった龍神は、黒雲と稲妻とともに雨をもたらせ、その雨は、三日三晩降り続き、大地草木は潤い、村人たちは蘇生の思いで歓声湧くがごとくであったそうです。快巌和尚は、この龍神を鎮守として後世に渡り奉ることを約束し、平田寺境内に池を穿ち、小洲に祠を築き、勧請しました。
(快巌和尚直筆「黒池龍神謡曲」より)
【黒龍さま(黒池龍神)】
平田寺の龍神池に祀られている龍神は、昔から地域の人々に「黒龍さま」として親しまれてきました。大いなる力を持ち、天界と地上界を結ぶといわれる龍は、昔から各地で信仰の対象とされています。龍には、黒龍、白龍、青龍、紅龍の4種があり、中でも最も位の高く、力があるといわれるのが「黒龍」です。平田寺の黒池龍神は、特に様々なご縁を引き寄せる力に優れています。
※快巌和尚直筆の「黒池龍神謡曲」は、北名古屋市指定文化財です。平成17年に開催された愛知万博では、東尾張の日に旧西春町の出し物として「黒池龍神が」取り上げられ、地元の小学生が黒池龍神伝説の紙芝居をステージ上で発表しました。
※ 文化勤労会館東の「文化の森にしはる物語の広場」にあるトンネル内には、
雨乞いをする快巌和尚と龍神、天女と村人たちをテーマにした夢童由里子さんのコンクリートレリーフ「黒池龍神」が彫られています。
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お寺では、龍神池を中心にした境内の緑化を計画しています。
その一歩目となるのが、龍神池の周囲にシイ・タブ・カシなどの
常緑広葉樹を中心とした木々を植えるという計画です。
来月3月11日(日)に予定している植樹会へ向けて、
先日の恩田の集いでは、その準備作業を行いました。
その様子は、「てらてら」をご覧ください。
※当初の計画が遅れ、植樹会はひと月遅れで開催することになりました。
こうして、植樹へ向けて本格的に動き出した同じ日に、
奇しくもお隣の神社では、木の伐採作業が行われていました。
「鎮守の森」とは、
日本において、寺社やその境内地を囲むように維持されている森林のことを言います。
森林の形態そのものだけではなく、日本固有の伝統と文化
自然と共生した生き方まで含む「鎮守の森」という言葉は、
英語やドイツ語には訳さずにそのまま「チンジュノモリ」と表現されるそうです。
長い歴史の中で人類は、食べ物を調達する場、危険から身を隠す場として、
森に生かされ森に守られるという時代を経てきました。
日本人は、水田や農耕地を作って集落を形成し、
木を切ったり、森を焼いたりするようになっても、
ふるさとの木(潜在自然植生=日本ではほとんどの地域が照葉樹林帯に含まれる)による
ふるさとの森(鎮守の森)を、台風や地震・洪水の被害を受けにくいところに残し
守ってきたという歴史を持っています。
里山が、人間と自然の間にあって
人が手を加え利用してきた(いる)森林を指すならば、
鎮守の森は、畏敬の念によって守られた場所といえるのではないでしょうか。
日本人は、木を愛し、守り、
そこに集い、祈りを捧げ、様々なカタチで森と共生してきた民族です。
現在、僅かながら地域に残された鎮守の森は、決して大きくはありませんが、
そこに佇んだ時、ふと自分に帰ることができる場所、
まわりのものによって生かされていることに感謝する場所なのかもしれません。
潜在自然植生による森は、私たちがいなくなった後も、
何百年何千年と、そこにあり続けるということもとても重要だと考えます。
『西春日井郡誌』『西春村史』には、
第2次世界大戦中、燃料採取の目的で伐採が行なわれたことと、
伊勢湾台風(1959(昭和34)年9月26日)の影響で、
それまで多くの場所で見られたマツやスギの大木が、
ほとんど姿を消したことが記されています。
1985年時点では、旧西春町に残された樹林帯は、
寺社境内に残る常緑広葉樹林が唯一のものであったとも書かれています。
これが鎮守の森です。
こうして僅かながら、各地に残されている寺社林の多くは、
低木、下草や落ち葉のない状態が続き、風や光が直接林床に入り込み、
地表が乾燥しているという状況です。