2009年08月

子こどもたちが通う小学校の校長の訃報を知ったのは、昨日午後のことです。 

「PTA役員が代表して参列します」とのことでしたので、

葬儀への参列はご無礼させていただこうとも思っていましたが、

やはりどうしても、参列しなければならない、という思いがこみ上げ、

急遽、行ってまいりました。

 

「何でこうなったのか、分からない」ということの最たるものは、

人が死ぬということかもしれない。

何が何だか全然分からない。

生物学的な死因が、分かったにしても、

何でこの人が、今この世の中からいなくならなければならなかったのか、

さっぱり分からない。

ほんの数週間前まで、元気に笑顔でこども達と触れ合っていた

夫も子どももある56歳の女性。

何度となく、子どもや文化について、お話をさせていただきましたし、

これからも、もっともっとお話をさせていただきたいと思っていただけに、

あまりにも、突然のことに、気持ちの整理がつかずにいます。

 

この夏休みは近しい人が、人生において1度あるかないかの

大きな岐路に立たされるという場面に幾度か遭遇し、多少たじろいでいます。

今、私は、何をしなければならないんだろう。

 

そして・・・・ 

ふたつ並べて日記にしてしまうのは、どうかとも思いましたが、

「何でこうなったのか分からない」ということもうひとつは、

人が生まれるということかもしれないと思ったので。

 

友人の出産のお祝いに行ってきました。

生後ひと月の赤ちゃんって、

一見頼りなげだけど、もうしっかり個性があって・・・人間ってすごいな~と。

「この命をどうにかしなければ」という思い。

これも辿っていけば、「何で今、ここに生まれてきたのか」というようなことに繋がるんだろうな。

 

こんなことが、幾重にも押し寄せてくるのは、

「おい、浮かれてないで立ち止まって考えろよ」ということかもしれないね。

浮かれているつもりはなかったけれど、

やはり、幸せボケかも知れないなと思ったりしてます。




今日はお寺に、趣味で集めていらっしゃる独楽をたくさん携えて、

独楽おじさん(勝手に命名ゴメンナサイ)が、いらっしゃいました。

 

たかが独楽だなんて、とんでもない!

見て楽しむもの、回して楽しむもの、

ちょっと笑っちゃうもの、まるで芸術作品!というもの・・・様々です。

2009-08-23 01:00:39

2009-08-23 01:00:39

大切な独楽たちと戯れさせていただいた我が家の子どもたち。

2009-08-23 01:00:39

数ある独楽の中で、一番人気だったのは、

頭の上で大きな独楽がくるくる回り、からだもくるくる回り、

回っているうちに徐々に重心が乱れグラグラして、

とうとう、背中に背負った酒壺や手に持った杯が落ちて、

ばったり倒れてしまうという「酔っ払い独楽」。

 

その他にも、独楽の回転に合わせて、舌をペロペロ出す仕掛け独楽、

独楽の周りをウサギとカメが追いかけっこして、

カメがウサギを追い越してしまう「お話独楽」(またまた勝手に命名)

フラフープのように、木のワッカを遠心力で持ち上げてしまう仕掛け独楽。

ご紹介したい独楽がたくさん!!

どれもこれも、表現ベタで分かりにくいですね~動画を撮っておけばよかったな。

そういえば、今日と開催されている北名古屋市のパペットフェスタでは

日本独楽博物館のおっちゃんが、

「こまおっちゃんのこまサーカス」というイベントをしていたようです。

どなたかご覧になりましたか??

 

「日本独楽博物館」は、名古屋の港区にあります。

私もまだ行ったことはありませんが、なかなか面白そうです。

興味のある方は、是非どうぞ。

 

ちなみに、お寺にいらした独楽おじさんと独楽博物館のおっちゃんは、

全くの別人です(念のため)

 

自然素材を使って、人の手でひとつひとつ作られているものは、

たくさん並べても威圧感がなく優しくて、

どれを手にしても暖かい気持ちにしてくれます。




九万九千日の護摩供と花火会は、

午後からお天気が崩れ、開催が危ぶまれましたが、

みなさんの思いが、龍神さまに届いたのでしょうか。

観音堂でのお参りが済むと、あら不思議、雨が小降りに。

何とか花火もできそうだと、火を点け始めると、

いつの間にやら、雨はやんでいました。

2009-08-20 13:22:00

みなさんの願いごとを書いた護摩木は、

観音堂でのお参りの後、お焚き上げしました。

特設の護摩壇から上がる炎は、幻想的で、見入ってしまいます。

近所のおにいちゃんに、肩車をしてもらいながら、

炎を見つめている姿もちらほら。

2009-08-20 13:22:00

ご家族お揃いでお参りくださった方も多く、

盆の入りのひと時を、お寺でのんびりと過ごされていました。

 

2009-08-20 13:22:00

2009-08-20 13:22:00

2009-08-20 13:22:00

火の光、炎の揺らめきは、心を和ませるものです。

 

ご参詣くださったみなさま、ありがとうございました。

そして、今回もお手伝いくださった総代さん方、地域の方々、

そのほかにも多くの方のお力添えで、無事終えることができましたこと

あらためてお礼申し上げます。




まいまい狂言会が終了し、随分経ってしまいましたが、

7月末に行なわれた第2回目の公演は、ベビーカーがズズ~ンと並んだ

去年の赤ちゃん連れの会とは違い

舞台を鑑賞するという雰囲気が漂う落ち着いた会でした。

 

内容は、演目とワークの2本立て。 

演目は、又三郎家では100年ぶりに演じられた「柑俵」。

ワークは「室町人になろう!」と題して、

狂言で使われている、室町時代の口語を体験しました。

どちらも好評で、多くの方が楽しい時間を過ごされていたようです。

 

ところで、私が狂言の会に関わっているということを話すと、

かなりの狂言通と、思われてしまうこともあるようですが、いえいえ・・・

狂言に限らず、日本の伝統芸能や日本文化については、

分からないことばかりでして、楽しく勉強させていただいている真っ最中です。

 

ひょんなご縁で、まいまい狂言会のお手伝いをさせていただくようになってから、

私にとっても、家族にとっても、日本の伝統芸能が身近になりました。

歴史が培ったものは奥深くて、いくら掘り進んでも飽きることがありませんし、

覗いてみれば、興味深いことばかりでますます知りたくなる。

日本人なのに日本の文化に興味があるというのもおかしな話ですが、

自然に流れているはずのその国の文化に気づかずに暮らせてしまうのが、今の世の中。

素晴らしい文化を持った国に生まれ暮らしながら

その良さ・大切さに気づかずに暮らしているなんて、もったいない。

暮らしと別々に文化が存在しているわけではないので、

底のにある緩やかな大きな流れのようなものには誰でも触れているはず。

それを少し意識化すると、その面白さが倍増するということではないかと思ったりしています。

 

大人は、意味を求めたり、ごたくを並べてしまいがちですが、

細かいことに拘りすぎて、本筋を見失ったりしないよう

アタマではなくカラダで感じ、全体的に見渡す感覚を育てる為にも、

小さな頃から、本物に触れる機会をたくさんたくさん、持ってもらいたいと思います。

 

伝統芸能は、人を惹きつける魅力があるから、長い年月を経て受け継がれてきたのでしょう。

その昔、能楽が神社やお寺の境内や、

川原などの屋外の舞台で演じられていた時代には、

演じられる舞台を、こどもたちもどこかで垣間見ていたのではないでしょうか。

大人の楽しみに憧れながら、その面白さを肌で感じていたのでしょう。

そんな遠い昔に思いを馳せながら、まいまい狂言会当日も会場を眺めていました。

大人が興味と敬意を持って接すればその気持ちは必ず子どもにも伝わるもの。

この国の文化や伝統は、誰かが守ってくれるのではなく、

一人一人が、それぞれのカタチで受け継ぎ守っていかなければならないものでしょう。

まずは、それに気づき、何か行動する。

能動的な行動には、何かのきっかけが必要なので、

まいまい狂言会が、そのきっかけの一つになることを願っています。

公演にいらしてくださる方々にとっても、スタッフとして関わる我々にとっても。 




お寺に、普通の日々が帰ってきました。 

午前中は、児童館の夏休み企画で

小学生が、坐禅の体験にやってきました。

2009-08-20 13:19:44

夜は、お盆期間中お休みしていた寺子屋を再開しました。

 

あれもこれも滞っていますが、忘れたわけではありません。

バランスボールも、ダンスも、わらべうたも

近々再開しますので、しばしお待ち下さいませね。




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