2008年09月

4年ぶりの義父の法事でした。

集ったのは、親族のほかに、10数ヶ寺のお坊さまと総代さんをはじめとした檀家さん方。

住職の回忌法要ですから、一般在家の方の法事に比べると随分大きなものです。

人が集まるのが大好きで、親戚がやたらに多くて、

ご寺院さんとも通り一遍なお付き合いに終らせない義父でしたし、

その血を受け継いだ子どもたちですから、法要の後席はとても賑やかです。

今回も総勢60名が法要後に近くのレストランまで大移動しました。

親戚と言っても、こんなときにしかお顔を合わせることがない方も多いのに

雰囲気は何故かいつも温かです。

食事の最後はみんな揃って大合唱。

ビール瓶にスプーンを入れてリリン・リリーン・リリン・リリーン・・・と

鳴らしながら歌った義父に代わり、

保育園の園長でもある義兄は、園児たちに大ウケだったという

唇の形や大きさで音階が変わるマウスパーカッションとでもいう芸を披露してくれました。

曲は「僕らはみんな生きている」娘たちも大喜びで口ずさんでいましたウィンク

回忌法要は、生きている人たちのためのものだと言っていた

義父の笑い声が今にも聞こえてきそうでした。

次は、6年後の13回忌です。

あいにく小学校の運動会と重なってしまったので、

お参りが終った時間に駆けつけて、お食事だけいただくという

何とも肩身の狭い立場だったにもかかわらず、コチラのほうが「大変だったわね~」

などと声をかけていただいたりして、本当にありがたいことです。

 

ところで日中の運動会、いつも駆けつけてくれるおばあちゃんもおばちゃんもおらず、

1年・3年・6年にこどもが在籍していてる上に、

ムカデ競走やら二人三脚やらに出場してしまうハハなので、

午前中は、木陰に敷いたシートに座る暇なんぞほぼナシ。

時に三女とともに、時に隣に座ったご近所ママに三女をお願いして始終走り回っておりました。

 

この10年間、多分20回以上はあった運動会に、

1度しか顔を出せないような夫のために毎回ビデオの撮影をするのですが、

カメラマンはいつもいつも、ビデオカメラ片手にファインダーを通さずに応援してしまいます。

記録画像はどうなるのかというと、

青空・地面に服地のアップ。来賓と思しき方のアップ。

バックには「行け~~~行け~~~!ガンバレ~~~!」の半ばかすれ声。

毎年のことと呆れ顔の夫とこどもたちでしたが、

地面の動きの早さに、お母さん速いじゃん!とお褒めの言葉をいただきました~

ビデオの記録については、毎回密かに落ち込んでいたので、

その言葉の嬉しかったこと!ムスコよムスメよありがとう!




私にとってある意味母以上の存在だった祖母が亡くなって10日。

亡くなる1週間ほど前からはICUに入り、

目を開くことも、言葉を発することもなくなっていました。

日に日に弱っていく姿を見ながら、

もうこの人と言葉を交わすことがないのかもしれないという思いと、

これまでもらったものばかりが浮かんできました。

お医者さまは、意識はないとおっしゃるのですが、

話しかけると呼吸数が変化したり モニターの数値が変化する気がするのです。

通夜の時も葬儀の時も遠くを見つめるような気持ちでしたが、

溢れすぎて収拾がつかなくなりそうな思いの中から、

祖母が私に遺してくれたものを少しずつ整理しています。

 

70年前大恋愛の末に、みちのくの地から岐阜の片田舎に嫁いだ祖母は、

頼りになる親族や友人もなく、もちろん目指すべきモデルもなく、

農家の嫁として生き、戦前・戦後をくぐり抜けたのです。

女学生時代はお稽古ごとに明け暮れた世間知らずのお嬢さまだった祖母は、

習慣も言葉も全く違う土地で、ただ一人ひとつひとつを自分の中から搾り出すように生きてきた人です。

物静かで、いつもいつも温かくて鋭い目で世の中を見ている人でした。

何も言わなくても、その人が求めているものがわかるような人でした。

孫である私たちはもちろん、子どもである母もおじたちも 

祖母が声を荒げた姿は記憶にないといいます。

 

同じ仙台から名古屋に嫁いだ私は、高校の同窓生ということもあり、

祖母と自分を重ね合わせることも多かったのです。

女学校時代の話をする祖母の顔が何よりも好きでした。

コルセットをして編み上げのブーツを履いていたという

女学校時代の祖母の姿を想像するだけでワクワクしたものです。 

今と祖母の生きた時代では、何もかも違っていて祖母の生きてきた時代をなぞるだけで

息切れしてしまうほど、安穏と暮らしている私のことを

きっと心もとなく見守っていてくれていたのでしょう。

今は、そんな人の血が私の中にも流れていることを誇りに思い

祖母が遺してくれた つかみ所がないのに決して揺らがない強さを

少しでも我が身に持っていたいと思うのです。

 

実は祖母の葬儀は、奇しくも息子の得度式と重なり、

郷里から葬儀に参列した両親や妹たちも、得度式に参詣してもらうという贈り物をもらいました。

祖母のことだから、きっとその日を選んで逝ったのでしょう。

積極的に何かを求めるようなことはせずとも、流れに身を任せながらも揺らがない

祖母の生き方を思いました。




息子の得度式が終りました。 

得度といえば、仏門に入る儀式です。

おめでたい式ではありますが、母親としては何とも複雑な心境でした。

今回師となるのは実の父親ですし、儀式としての意味合いが強いものですが

本来の意味からすると、親子ではなくなる出家の儀式ですから。

 

ところで、得度とはちょっと違いますが、

こどもが生まれると、お七夜、お宮参り、お食い初めに初節句、

初誕生、七五三や誕生日、学校の入学卒業・・・

成長の節目節目に、色々なお祝いがあります。

 

こどもの成長は、階段をひとつ上って休憩したり、

難なくトントンと駆け上がってしまう時もあり、

座り込んで動かなくなるともあり・・・

でも、一段上るととても晴れやかな気持ちになったり、ちょっと違う自分に出会ったりする。

なだらかな坂道を進むのとは違って、

やはり階段を上って行くことに似ている気がします。

 

昔から習慣として続けられてきたこどものお祝いは、

たくさんある節目を意識するためにも大切にしていきたいと思っています。

毎回、盛大にカッコよくとはいかなくても、何かのカタチでね。

そして、こどものお祝いは、実はこどもの成長に感謝するということだけではなくて、

親としてのあり方を確認することにも繋がるのだとも思います。

親としての心構えだなんて、重たいようですが、

こどもが小さいころは、物心ともに親子の距離が近いがために、

意識しなくても、守るべきものとしてこどもが存在していましたが、

学齢期に入って、とこども自身の世界が広がり、

親としての自分を意識する場が、少なくなっているからこそ

ちょっと立ち止まるきっかけとしておきたいと。

 

得度の前日に12歳の誕生日を迎えた息子は、

見るからにエネルギーを扱いかねているという時もあって、

身体の中に大風が吹いたり、

ガラスのように固くなったり、ふわっと優しくなったり、

心と身体のバランスを保つのが難しい時期に差しかかって来たようです。

こんな時期に、得度式という息子を客観的に見る場をいただいて、

何だかこの子の母親であることが、不思議に思えたりしたのです。 

 

当の本人は、たくさんいただいたおめでとうの言葉に

得度ってそんなにおめでたいんだぁ~とのんきな事を言っていましたが、

今すぐは見えてこなくても、彼の心の中にも何かが刻まれているのでしょう。 




9月14日()に恩田の集いを開催します。

午前 10:30~11:30 太極拳(日本伝統医学太極拳会)どなたでもご参加いただけます。

午後 3:30~ 道元忌

    4:00~ 得度式

 

道元禅師は、曹洞宗の開祖です。

福井県に永平寺を開き、只管打坐の教えを説き

わが国の宗教思想の最高峰とされる曹洞宗の根本経典「正法眼蔵」を著されました。

道元忌は、陰暦8月25日に54歳で入寂された道元さまの遺徳を偲ぶお参りです。

 

「得度」とは、正式に僧侶の仲間入りをして、

仏のみ教えを信じ、仏の徳を身に具えることをいいます。

曹洞宗では、10歳になると得度を受けることができます。

 

道元忌・得度式ともに一般の方々にも公開で執り行いますので、是非お参りください。

法要の終了は、午後4時半頃を予定しています。




人間味を育ててくれるのは、ゴタゴタした関係性。

共通の何かをお互いに感じあっている仲間や、

同じ世代のピアな関係も楽しいけれど、

時にはごちゃ混ぜのゴタゴタした人間関係の中で

人間味を育てるのもいいのかも、と思います。




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