2006年07月

今朝は2週間に一度の早起きの会。

初参加の子もいて、古株勢は先輩顔で、読経の声もちょっと違っていた。

会が終わってから、昨日からお泊り参加のTくんと、息子の同級生Yくんを含め8人での朝食。

4年生3人組みは、今日の計画をあれこれ練っていたのだけれど、

実現は難しかったらしく、お決まりのお片づけタイムをみんなで済ませると、

夏休みの日誌に載っていた、食塩水に卵を浮かせる実験(4年生)と

朝顔の叩き染め(1年生)をワイワイ楽しんでいた。

こうやってやると宿題も楽しいよね~

ひとしきりウチ遊びが終わると、1歳の三女も交えて、

裏の畑からとってきたカマキリをブランコに乗せてみたり、

捕まえてきたタニシやおたまじゃくしと遊んでいた。

こんな時は、1歳10ヶ月から10歳まで6人のこどものいろんな関係性があって、

そのやり取りで、社会性が身についていくんだろうな~

などと思いながら、ケガとうんちのオムツがえ以外は、手も口も出さずに眺めている。

それにしても、バッタとカマキリが家の中で飛び跳ねた時には流石にギョッとした。

そんなわけで、こんな日は、大事なお客が帰られてから、掃除に精を出すことに決めている。


今日は、ダンスのレッスン日だった。

ヒップホップ系のジャズダンスということなのだが

何がどう違うのかさえも??な初心者が、ちょっと思ったことを・・・

まず専門家の目から見ると、今の私の身体、全くイケてないらしい。

例えば、ターンの時の腕(僧帽筋上部をストレッチしようとすると、

三角筋の力まで抜けてしまうとか)

バーレッスン時の上体のブレ(肩甲骨を内転すると、腹直筋上部が緩んでしまうとか)、

日常生活でついついとってしまう姿勢(アゴを前に出してしまう癖とか)、

そんなことに的確にチェックがはいる。

解剖学的なコトバはないが、みぞおちをつままれたり、あごをはじかれたりしながら、

気付かせてもらえる。

その度、鏡とにらめっこ。一瞬なら何とかできる姿勢も、維持するのは至難のワザ。

この頃の私は、骨・筋肉というコトバに敏感に反応してしまうのだが、

骨や筋肉のカタチを思い浮かべたり、

家に帰ってから解剖学のテキストを開いたりして確かめながら、

それはそれで楽しんでいる。

「ミセスのジャズダンス」なんてユル~イ講座名だから、油断していたが、

ここ尾張地方じゃ、厳しいことで有名な先生らしく、

週に2度3度、レッスンを受けている方々の中で、私はどうやら最年少らしい。

大人になると、特にいわゆる専業主婦になってしまうと、

狭い社会の中で自分の天下になってしまうことも多いので、

きちんとつっこみいれてくれる人の存在ってホントにありがたい。

そういう場に自分をおいてみることで、自分を客観的に見る目を保つことができる。

それにしても、ただ細いだけじゃない踊れる人の身体は、美しく魅力的だ。


久しぶりに会う友人と、某ファミレスで待ち合わせ。
彼女は、鈴木メソッドのピアノの先生、音楽療法士、NPプログラムのファシリテーター、
色んな顔を持つ、ふたりの孫のおばあちゃん。

この尾張地方独特の文化と私たちの今後を熱く語り合ったのだけれど、
周りは、夜の11時過ぎだというのに賑わっていて、
それも幼児連れの客の多いことといったら・・・
おまけにその子ら、やけに元気で食欲もある。なぜ?
昼間のファミレスの雑多とした状況は、よくよく目にしていたけれど、
何だか、変な世の中です。


Nobody's Perfect プログラムの普及版テキスト
親の気持ちに寄り添ってくれる育児書です。
完璧な親なんていない!

3女は週に2~3回、地元の公立保育園の一時保育を利用している。
次女が、通っている保育園なので、送りも迎えもふたり一緒。
今では、園での生活にも慣れて、とっても楽しそう!

長男は1歳半、長女・次女は2歳前後から保育園に通っているのだが、
3女は、何だか保育園に通わせるのがもったいなくて、
今のところ一時保育を選択している。

子どもが、保育園に通うことで、
大人は大人の時間を、こどもはこどもの時間をもつことができる。
保育士さんとのやり取りで、わが子の新たな面を発見したり、
四六時中一緒にいたら、見過ごしてしまうであろう成長が見えたりする。

ウチに限っていえは、ひとりの子としっかり向き合う時間がとれるのも嬉しい。
息子とふたりで映画を見にいったり、娘とお出かけ用の洋服を買いに行ったり、
ふたりっきりで折り紙したり、工作したり・・・
普段は4人の母親なのだがが、そのときは、ひとりだけのおかあさんになれる。
学校でのちょっとしたイザコザ話をボソッとこぼしたり、
しっかり者の長女が猫みたいになって、すりよってきたり、
普段はそれぞれ自分の立場を理解して、我慢していることもたくさんあるので、
そんな時こどもは、本当にいい顔をする

で、今日は末っ子の日。
朝からゴロゴロじゃれあったり、わらべうたうたったり、
これでもかっていうほど絵本を読んだり、
久々にベビーマッサージしたり、濃い時間を過ごすことができた。

毎日、ふたりきりで向き合っていては、息が詰まるこんなことも
こども達の存在をすっかり忘れて、大人として過ごす時間を持っているからこそ、楽しめる。

どんな時期にどんなところに子どもを託すか、というのは
保護者の就労状況や意識、その子の気質や、親子の相性、
周囲の大人たちの考え方、地域性・・・
一概に言えることではないが、
子どもを、自分ひとりで抱え込んでしまうのは、その親子はもとより、
社会全体にとっても良いことではないとおもう。
子どもは、周りの人を笑顔をする力を持っているからね。
子どもがもつかわいらしさを共有していくことで、
社会全体が優しくなっていくことも可能なのではないか、ともおもうのです。


★絵本のこと
赤ちゃんは生まれて3ヶ月くらい経つと、大人と一緒に絵本を楽しむことができるようになる。
一緒に寝転がって、首が据われば膝に乗って楽しさを共有できるようになる。

赤ちゃんが初めて出会う絵本は、言葉遣いがきれいで、絵がはっきりしているものがいい。
そして、何よりその子が好むものがいいと思います。
お誕生のころには、あれこれ読んでる中で、好き嫌いも出てきたりして驚かされます。

赤ちゃんのために創られた絵本は、日常生活での会話ではなかなか出会えない言葉や、
繰り返しの擬音(赤ちゃんは大好きなの!)に触れる機会を提供してくれます。
信頼する人の肉声は赤ちゃんにとって、この上なく心地が良いものです。

赤ちゃんは繰り返しを好みます。
だから、何度も何度も繰り返して、赤ちゃんを楽しませ、安心させてあげたいものです。。
日常生活での、語りかけのほかにも、洗練された言葉をたくさん届けてあげることが、
言葉のもと・言葉の土台を作ります。

意味を求める大人と、感じるだけで満足するこども。
大人とこどもの違いを理解し感じながら、大人も一緒に楽しむことが何より大事ですね。

絵本と一緒に暮らしてきた子は、ふと気付くと、読んでもらったことを思いながら、
絵本のページをめくっていたりします
読んでもらった時の心地よさを、思い描きながら楽しんでいるのでしょう。


★幼年文学
文字が読めることと、本が読めることは違うし、読んでもらうことと読むことも全然違います。
たくさんの言葉かけの中で育ち、たくさんの絵本を読んでもらってきた子は、
言葉と意味を速やかに結びつけることができるようになります。
ころになると、頭の中で、イメージを描きながら、そのイメージをつないで、
それを楽しむことができるようになるのです。
ここが幼年文学の入り口。

幼年文学を堪能できるのは、ごくわずかの時期(年齢的には6~8歳ころといわれてます)、
現実にはありえない、何でもありの世界を十分に堪能する経験を持つことは、
それから続く人生に彩を添えてくれるものではないかと思います。

★児童文学
児童文学とは、主人公が成長していく過程を物語を通して自然に体験することで、
読み手が元気をもらい、自分の成長の過程を見極めたり、
これからの成長の見通しを立てる手助けになるものだと思います。
出会った物語を、これからの生きていく糧としていくことができれば最高だと思います。

★読み聞かせ(読み語り)
読み手は、絵本や本をこどもたちとともに楽しむことによって、
文学の世界、絵画の世界をこともだちに手渡すという作業をしているのではないかと思います。
読み手の声によって、心を伝えることもできるのではないかと思います。


★わたしのこと
大人になってしばらくは、実用書的なものが読書の大半を占めていたのですが、
最近は、小4の息子と一緒にフィクションやノンフィクション、
ファンタジーといったいろいろな児童文学を楽しんでいます。
大人向けの小説が苦手なせいか、
児童文学が大好きになってしまいました。

おとなが児童文学を読む時は、過ぎ去った自分の成長過程と照らし合わせて、
回想にふけったり、その時の気持ちを主人公ともに味わうことによって、
育ちなおしをしたりしているのかもしれません。
読書は、個人的な問題なので、ことこどもに対しては感想を求めたり介入したりすることは、
極力避けています。


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