子こどもたちが通う小学校の校長の訃報を知ったのは、昨日午後のことです。 

「PTA役員が代表して参列します」とのことでしたので、

葬儀への参列はご無礼させていただこうとも思っていましたが、

やはりどうしても、参列しなければならない、という思いがこみ上げ、

急遽、行ってまいりました。

 

「何でこうなったのか、分からない」ということの最たるものは、

人が死ぬということかもしれない。

何が何だか全然分からない。

生物学的な死因が、分かったにしても、

何でこの人が、今この世の中からいなくならなければならなかったのか、

さっぱり分からない。

ほんの数週間前まで、元気に笑顔でこども達と触れ合っていた

夫も子どももある56歳の女性。

何度となく、子どもや文化について、お話をさせていただきましたし、

これからも、もっともっとお話をさせていただきたいと思っていただけに、

あまりにも、突然のことに、気持ちの整理がつかずにいます。

 

この夏休みは近しい人が、人生において1度あるかないかの

大きな岐路に立たされるという場面に幾度か遭遇し、多少たじろいでいます。

今、私は、何をしなければならないんだろう。

 

そして・・・・ 

ふたつ並べて日記にしてしまうのは、どうかとも思いましたが、

「何でこうなったのか分からない」ということもうひとつは、

人が生まれるということかもしれないと思ったので。

 

友人の出産のお祝いに行ってきました。

生後ひと月の赤ちゃんって、

一見頼りなげだけど、もうしっかり個性があって・・・人間ってすごいな~と。

「この命をどうにかしなければ」という思い。

これも辿っていけば、「何で今、ここに生まれてきたのか」というようなことに繋がるんだろうな。

 

こんなことが、幾重にも押し寄せてくるのは、

「おい、浮かれてないで立ち止まって考えろよ」ということかもしれないね。

浮かれているつもりはなかったけれど、

やはり、幸せボケかも知れないなと思ったりしてます。