今日は、入佛式。
ご本尊さまが、いらっしゃいました。
十数人の檀信徒さんと、我々寺族が見守る中での
とても簡略な法要を行ないました。
お釈迦様はしっくりと、まるでずっとそこに
鎮座されていたかのように馴染んでみえました。
新しい土地に越してきて2ヶ月あまり。
「帰家穏座」佛性には程遠く、
安穏と座しているわけにはいかないのが現実だけれど、
ずっと前からここにくることが決まっていたような気がしています。
何もかもがめまぐるしく変化したこの春を通り抜け、、
今まで点だったものが、パチパチと音を立てて、つながっていく、そんな感じです。
そして、行事の合間に生活があるような暮らしの中で、
新しい土地の、習慣やお付き合いに右往左往している母を尻目に
こどもたちは、新しい学校や保育園に慣れ、
着実にこの地に根をはり始めている。
ここは、適当に便利で、適当に緑が残っていて、
本当に素敵なところです。
何よりも、長い歴史があるまち、朝な夕なに、手を合わす人の姿がある。
そんな大人たちが住むまちで成長していくこどもたちとともに
暮らせることが、とても幸せです。
ご本尊さまが、いらっしゃいました。
十数人の檀信徒さんと、我々寺族が見守る中での
とても簡略な法要を行ないました。
お釈迦様はしっくりと、まるでずっとそこに
鎮座されていたかのように馴染んでみえました。
新しい土地に越してきて2ヶ月あまり。
「帰家穏座」佛性には程遠く、
安穏と座しているわけにはいかないのが現実だけれど、
ずっと前からここにくることが決まっていたような気がしています。
何もかもがめまぐるしく変化したこの春を通り抜け、、
今まで点だったものが、パチパチと音を立てて、つながっていく、そんな感じです。
そして、行事の合間に生活があるような暮らしの中で、
新しい土地の、習慣やお付き合いに右往左往している母を尻目に
こどもたちは、新しい学校や保育園に慣れ、
着実にこの地に根をはり始めている。
ここは、適当に便利で、適当に緑が残っていて、
本当に素敵なところです。
何よりも、長い歴史があるまち、朝な夕なに、手を合わす人の姿がある。
そんな大人たちが住むまちで成長していくこどもたちとともに
暮らせることが、とても幸せです。
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