昨日 真宗大谷派岐阜別院で開催された

佐々木るりさんの講演会「原発事故後の福島に生きる」に行ってきました。

始まりは真宗宗歌・正信偈から。そして講義。

雨音と鐘の音が響く夜の本堂に 淡々とした佐々木るりさんの声が響く。



3月11日 その日のこと 食べることの心配 余震の恐怖

1回目の爆発が起きたとき 90万ベクレルにも上る放射線量の校庭の周辺で子どもたちを含む地域住民は何をしていたのか 

電気が復旧して リアルタイムでみた2回目の原発爆発の映像

何度も繰り返された「ただちに健康に影響はありません」というアナウンス

やはり避難しようと決めたときのこと

2ヶ月半にわたる避難生活から福島に戻り 不安だらけで始まった福島での暮らし



今も続く除染作業 庭先や学校の校庭に埋められたり シートをかけられたまま放置された汚染土とともにある日常

一般のスーパーでは 福島県産の野菜に比べ高値で販売されることが多い県外産の野菜

今も(期間限定ではあるが)ガラスバッジを首にかけて生活するこどもたちと その行動記録を行政側に提出しているという現実

100万人に1~2人と言われている甲状腺がんの発症が
福島では、検査をしたお子さん36万人中 確定が57人 
経過観察、または手術を待っているお子さん、手術を終えて病理検査の結果を待っているお子さんが56人にのぼるという事実。


原発爆発後に急増した空間線量のことが 随分後になって知らされたということ

引き裂かれる人繋がりによって抱える大きな悲しみ

諦めながら暮らしている人々。。。

県外に避難した人もいる。

何もなかったことのように何も考えずに生きていくという選択をした人もいる。

原発推進派の人もいる。

そんな中で家族一緒に暮らせる日常を大事にしたいという思いが強く
お寺での暮らしを続けているが
これが子どもたちにとって幸せな選択なのかどうかは 今もまだわからず悩み続けている。

苦しいことを抱えながら 笑顔で生きていく日常




生きる のではなく 生きのびていく 日常をそんな感覚の中で過ごしている人たちが 今の日本には沢山存在している。

これから日本はどこへ行こうとしているだろう。

明確な答えはないのかもしれない。

でも これはみんなで共有していかなければならない現実。

知識としてばらばらに散らばっていた福島のことが一人の母親として妻として坊守として語る佐々木るりさんの言葉を通して繋がった。



福島を忘れないでください。

私たちと寄り添って生きていっていただけたらとても嬉しい 

佐々木るりさんが最後に語られた言葉です。



政治も原発も私たちの暮らしも何もかもがつながっていて 

今 私たちが享受している便利な暮らしの先に 

今もまだ福島で起きていることがあるということをいつも忘れずにいるために 

私は 東北で生きている人たちに会いに行くのだった。


つながるかもすプロジェクト