長男長女が通う地元小学校の持久走大会があった。

毎年恒例の行事。

懸命に走るこどもたちの姿は、もちろんいいが、今日は豚汁のはなし。

大会が終了すると、PTAやスポ少の役員や地域の方々が、

炊き出した豚汁が振舞われる。

懸命に走った子どもたちはもちろん、

声援を送ったすべての人が、寒空の中、出来立ての豚汁をいただく。

こんなことが、当たり前に行なわれている地域って、そう多くないんじゃないかと、

この地に住んで、7年のわたしは思う。

PTA役員をしていた3年前は、そのときはまだ3人だった寝ぼけ眼の子どもたちを、

友人宅に送り込み、早朝から、サトイモを剥き、ごぼうをささがきにした。 

こんな小さなことの集まりが、この地域の力をつくっているのだろう。

 

このあたりも、駅前の再開発が進み、

地毛(昔からこの地に住んでいる人のことをこう呼ぶらしい)ではない人たちの姿を

ちらほら見かけるようになった。

来夏には大型マンションの完成や、ショッピングモールの建設も控えている。

見た目は、ずいぶん様変わりするのだろう。

でも、今まで長い間育て守ってきた、地域の力は残していきたいと思う。

無くしてから再構築するのは、大変だし、

今の時代、あたりまえにあるものじゃないからこそ、大事にしていかなければと思う。

新旧が混ざり合って、いい塩梅になるのが、いい。

でもひょっとしてはコチラの方がもっと難しいのだろうか。

何にしても無くしてしまうまで、気付かないなんてもったいない。

 

ところで、今日の持久走大会でひとつだけ残念だったこと、

最後のフリー参加のジョギング大会、おとなの参加が少なかったこと。

というわたしも不参加だったのだが、来年は、声掛け合って、参加してみよう。




親戚の結婚式に参列し、実弟妹と、ひさしぶりに顔を合わせた。

親でもない、友だちでもない、仕事仲間でもない弟妹は弟妹。

きょうだいには、きょうだいにしか結べない人間関係があるとつくづくおもった。

親との関係、きょうだいとの関係、友だちとの関係、先生や近所の人たち・・・

それぞれが固有の人間関係をつくりだす。

この世の中、色んな人がいるけれど、

それぞれの人と、出会う意味があって出会うのかもしれない。

色んな年齢、色んな価値観、色んな愛情表現・・・

小さい頃の人間関係は、質より量、と言ってた人がいた。

今の時代、身近な大人が、人も含めた環境を

準備していかなければならない場面も多いけれど、

それがこどもの力を奪うことになってはいないか、

社会には、望む望まないを問わず、様々な出会いがある。

こどもの力を信じ、長い目で冷静に判断できる大人でいたいとおもう。





長男長女が通う地元小学校の持久走大会があった。

毎年恒例の行事。

懸命に走るこどもたちの姿は、もちろんいいが、今日は豚汁のはなし。

大会が終了すると、PTAやスポ少の役員や地域の方々が、

炊き出した豚汁が振舞われる。

懸命に走った子どもたちはもちろん、

声援を送ったすべての人が、寒空の中、出来立ての豚汁をいただく。

こんなことが、当たり前に行なわれている地域って、そう多くないんじゃないかと、

この地に住んで、7年のわたしは思う。

PTA役員をしていた3年前は、そのときはまだ3人だった寝ぼけ眼の子どもたちを、

友人宅に送り込み、早朝から、サトイモを剥き、ごぼうをささがきにした。

こんな小さなことの集まりが、この地域の力をつくっているのだろう。

このあたりも、駅前の再開発が進み、

地毛(昔からこの地に住んでいる人のことをこう呼ぶらしい)ではない人たちの姿を

ちらほら見かけるようになった。

来夏には大型マンションの完成や、ショッピングモールの建設も控えている。

見た目は、ずいぶん様変わりするのだろう。

でも、今まで長い間育て守ってきた、地域の力は残していきたいと思う。

無くしてから再構築するのは、大変だし、

今の時代、あたりまえにあるものじゃないからこそ、大事にしていかなければと思う。

新旧が混ざり合って、いい塩梅になるのが、いい。

でもひょっとしてはコチラの方がもっと難しいのだろうか。

何にしても無くしてしまうまで、気付かないなんてもったいない。

ところで、今日の持久走大会でひとつだけ残念だったこと、

最後のフリー参加のジョギング大会、おとなの参加が少なかったこと。

というわたしも不参加だったのだが、来年は、声掛け合って、参加してみよう。


本屋で立ち読みをしてたら、

「ひとり目の子は過去を、ふたり目の子は現在を、3人目の子は未来を生きている」

そんなコトバに出会った。

ウチの1番目は、よくも悪くも

親の生き方やそれまで培ってきものの影響を色濃く受け継いでいる。

2番目は、とても合理的で、今の世の中をに難なく適応する能力に長けているし、

3番目は、、自分の中でエネルギーを循環させながらファンタジーの中に生きている。

4番目は、どんな子なんだろう?なんてことを考えた。

4番目は、「さすが、4人目ともなると、強いね~」というコトバをよく頂戴するような子。

彼女は、親からみるよりも、他の人目にはずっとたくましく映るようだが、

確かに、日常の中でかなり鍛えられ、たくさんのモデルの中で暮らしているので、

世渡りの上手さには感心させられる。

自分の要求の通し方や譲り加減が絶妙で、そこがおもしろ愛しい。

そんな彼女は、悔しいこと、訴えたいことがあると、とりあえず「おかあさ~ん」とよんでくれる。

こちらがすぐに、手をかけられないでいると、今度は「ひろちゃ~ん(長女)」。

取り合ってもらえないと「おと~さ~ん」「おにいちゃ~ん」

変わり身が早く、次から次へと名前が出てくる。

ということは、いつも彼女の心の中には、複数のまなざしのイメージがあるということ。

自分には、たくさんの愛着の対象があると言う確かなイメージが、

彼女の強さの源ではないかと思う。


息子の友達の母親である彼女は

「3人目にもなると情熱を注げなくなるのよね~」と漏らした。

4人のこどもの育児中である私も、うんうん、なるほど・・・とうなづいたものの、

はて?育児に情熱は必要なのか?と。

育児は生活そのものであって、アレコレ競い合ったり、

結果を評価したりされたりするのものじゃない。

情熱を注いだ大人は、ひょっとして結果を求めてしまうかもしれない。

情熱を注がれたこどもたちにとって、その情熱はどんな意味をもつんだろう。




最近の我が家のハヤリ絵本は『ぶたぶたくんのおかいもの』

主人公のぶたぶたくんが、おかあさんに頼まれて、おつかいに行くという

ありがちなお話かと思ったら、とんでもない!

次々に登場する奇妙な人たち、そして顔つきパンなんていう怖いモノまで・・・

こんな奇妙な絵本には、なかなか出会えない。

大人になってからこの本に出会い、思わず購入。

誰かとこの思いを共有したいと、たまに読み聞かせてみたりしていたのだが、

そのときは反応なしだったのに今回、誰が手に取ったのか、

やっと日の目を見ることができた。

お風呂上りには、

「ぶたぶた、かあこお、ぶたぶた、・・・どたじた、どたあん、ばたん・・・」と唱えながら、

それぞれ、首に(ぶたぶたくんや、かあこちゃんが首につけていたリボンのつもりの)

タオルを巻き、そぞろ歩きしていた4人の子どもたち。

 




本屋で立ち読みをしてたら、

「ひとり目の子は過去を、ふたり目の子は現在を、3人目の子は未来を生きている」

そんなコトバに出会った。

ウチの1番目は、よくも悪くも

親の生き方やそれまで培ってきものの影響を色濃く受け継いでいる。

2番目は、とても合理的で、今の世の中をに難なく適応する能力に長けているし、

3番目は、、自分の中でエネルギーを循環させながらファンタジーの中に生きている。

4番目は、どんな子なんだろう?なんてことを考えた。

 

4番目は、「さすが、4人目ともなると、強いね~」というコトバをよく頂戴するような子。

彼女は、親からみるよりも、他の人目にはずっとたくましく映るようだが、

確かに、日常の中でかなり鍛えられ、たくさんのモデルの中で暮らしているので、

世渡りの上手さには感心させられる。

自分の要求の通し方や譲り加減が絶妙で、そこがおもしろ愛しい。

 

そんな彼女は、悔しいこと、訴えたいことがあると、とりあえず「おかあさ~ん」とよんでくれる。

こちらがすぐに、手をかけられないでいると、今度は「ひろちゃ~ん(長女)」。

取り合ってもらえないと「おと~さ~ん」「おにいちゃ~ん」

変わり身が早く、次から次へと名前が出てくる。

ということは、いつも彼女の心の中には、複数のまなざしのイメージがあるということ。

自分には、たくさんの愛着の対象があると言う確かなイメージが、

彼女の強さの源ではないかと感じる。




今は明確な目的意識を持ちにくい時代かもしれない。

自分は、何をしたかったのだろう?そうやって立ち止まる時間を意識的に持たないと、

お金や地位や名声といった、フィルターを通し、目的自体がぼやけてしまう。

手段が目的に、知らないうちにシフトしてしまうことも多いんじゃないかとおもう。

 

どの世界でも、手段が目的になってしまうということは、よく見かけること。

それ自体は、ひとつの成長であることもある。

ただ、当事者がそこに気付かずにいることは本当に危うい。

10年20年という流れの中でしっかりとした目的意識を持ち、

問い続けていかないと。

目的の中に生き方とか、おもい、宗教観そんなものをいつも持っていたい。

今は、そういうものが足りない時代だと思うから。

 





息子の友人の母親である彼女は「3人目にもなると情熱を注げなくなるのよね~」と漏らした。

4人のこどもの育児中である私も、うんうん、なるほど・・・とうなづいたものの、

はて?育児に情熱は必要なのか?と。

育児は生活そのものであって、アレコレ競い合ったり、

結果を評価したりされたりするのものじゃない。

情熱を注いだ大人は、ひょっとして結果を求めてしまうかもしれない。

情熱を注がれたこどもたちにとって、その情熱はどんな意味をもつんだろう。


いつもの水を飲みながら

「今日の水は、にがいね~。楽しい気持ちのときは、甘いのにね・・・」

最近ちょっと疲れ気味の次女(5歳)は、我が家のペルシャ猫。






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