最近の我が家のハヤリ絵本は『ぶたぶたくんのおかいもの』

主人公のぶたぶたくんが、おかあさんに頼まれて、おつかいに行くという

ありがちなお話かと思ったら、とんでもない!

次々に登場する奇妙な人たち、そして顔つきパンなんていう怖いモノまで・・・

こんな奇妙な絵本には、なかなか出会えない。

大人になってからこの本に出会い、思わず購入。

誰かとこの思いを共有したいと、たまに読み聞かせてみたりしていたのだが、

そのときは反応なしだったのに今回、誰が手に取ったのか、

やっと日の目を見ることができた。

お風呂上りには、

「ぶたぶた、かあこお、ぶたぶた、・・・どたじた、どたあん、ばたん・・・」と唱えながら、

それぞれ、首に(ぶたぶたくんや、かあこちゃんが首につけていたリボンのつもりの)

タオルを巻き、そぞろ歩きしていた4人の子どもたち。

 




本屋で立ち読みをしてたら、

「ひとり目の子は過去を、ふたり目の子は現在を、3人目の子は未来を生きている」

そんなコトバに出会った。

ウチの1番目は、よくも悪くも

親の生き方やそれまで培ってきものの影響を色濃く受け継いでいる。

2番目は、とても合理的で、今の世の中をに難なく適応する能力に長けているし、

3番目は、、自分の中でエネルギーを循環させながらファンタジーの中に生きている。

4番目は、どんな子なんだろう?なんてことを考えた。

 

4番目は、「さすが、4人目ともなると、強いね~」というコトバをよく頂戴するような子。

彼女は、親からみるよりも、他の人目にはずっとたくましく映るようだが、

確かに、日常の中でかなり鍛えられ、たくさんのモデルの中で暮らしているので、

世渡りの上手さには感心させられる。

自分の要求の通し方や譲り加減が絶妙で、そこがおもしろ愛しい。

 

そんな彼女は、悔しいこと、訴えたいことがあると、とりあえず「おかあさ~ん」とよんでくれる。

こちらがすぐに、手をかけられないでいると、今度は「ひろちゃ~ん(長女)」。

取り合ってもらえないと「おと~さ~ん」「おにいちゃ~ん」

変わり身が早く、次から次へと名前が出てくる。

ということは、いつも彼女の心の中には、複数のまなざしのイメージがあるということ。

自分には、たくさんの愛着の対象があると言う確かなイメージが、

彼女の強さの源ではないかと感じる。




今は明確な目的意識を持ちにくい時代かもしれない。

自分は、何をしたかったのだろう?そうやって立ち止まる時間を意識的に持たないと、

お金や地位や名声といった、フィルターを通し、目的自体がぼやけてしまう。

手段が目的に、知らないうちにシフトしてしまうことも多いんじゃないかとおもう。

 

どの世界でも、手段が目的になってしまうということは、よく見かけること。

それ自体は、ひとつの成長であることもある。

ただ、当事者がそこに気付かずにいることは本当に危うい。

10年20年という流れの中でしっかりとした目的意識を持ち、

問い続けていかないと。

目的の中に生き方とか、おもい、宗教観そんなものをいつも持っていたい。

今は、そういうものが足りない時代だと思うから。

 





息子の友人の母親である彼女は「3人目にもなると情熱を注げなくなるのよね~」と漏らした。

4人のこどもの育児中である私も、うんうん、なるほど・・・とうなづいたものの、

はて?育児に情熱は必要なのか?と。

育児は生活そのものであって、アレコレ競い合ったり、

結果を評価したりされたりするのものじゃない。

情熱を注いだ大人は、ひょっとして結果を求めてしまうかもしれない。

情熱を注がれたこどもたちにとって、その情熱はどんな意味をもつんだろう。


いつもの水を飲みながら

「今日の水は、にがいね~。楽しい気持ちのときは、甘いのにね・・・」

最近ちょっと疲れ気味の次女(5歳)は、我が家のペルシャ猫。






2006.12.02XML このブログを購読する

絵本
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最近の我が家のハヤリ絵本は『ぶたぶたくんのおかいもの』

主人公のぶたぶたくんが、おかあさんに頼まれて、おつかいに行くという

ありがちなお話かと思ったら、とんでもない!

次々に登場する奇妙な人たち、そして顔つきパンなんていう怖いモノまで・・・

こんな奇妙な絵本には、なかなか出会えない。

大人になってからこの本に出会い、思わず購入。

誰かとこの思いを共有したいと、たまに読み聞かせてみたりしていたのだが、

そのときは反応なしだったのに今回、誰が手に取ったのか、

やっと日の目を見ることができた。

お風呂上りには、

「ぶたぶた、かあこお、ぶたぶた、・・・どたじた、どたあん、ばたん・・・」と唱えながら、

それぞれ、首に(ぶたぶたくんや、かあこちゃんが首につけていたリボンのつもりの)

タオルを巻き、そぞろ歩きしていた4人の子どもたち。


今は明確な目的意識を持ちにくい時代かもしれない。

自分は、何をしたかったのだろう?そうやって立ち止まる時間を意識的に持たないと、

お金や地位や名声といった、フィルターを通し、目的自体がぼやけてしまう。

手段が目的に、知らないうちにシフトしてしまうことも多いんじゃないかとおもう。

どの世界でも、手段が目的になってしまうということは、よく見かけること。

それ自体は、ひとつの成長であることもある。

ただ、当事者がそこに気付かずにいることは本当に危うい。

10年20年という流れの中でしっかりとした目的意識を持ち、

問い続けていかないと。

目的の中に生き方とか、おもい、宗教観そんなものをいつも持っていたい。

今は、そういうものが足りない時代だと思うから自分は、何をしたかったのだろう?そうやって立ち止まる時間を意識的に持たないと、

お金や地位や名声といった、フィルターを通し、目的自体がぼやけてしまう。

手段が目的に、知らないうちにシフトしてしまうことも多いんじゃないかとおもう。

どの世界でも、手段が目的になってしまうということは、よく見かけること。

それ自体は、ひとつの成長であることもある。

ただ、当事者がそこに気付かずにいることは本当に危うい。

10年20年という流れの中でしっかりとした目的意識を持ち、

問い続けていかないと。

目的の中に生き方とか、おもい、宗教観そんなものをいつも持っていたい。

今は、そういうものが足りない時代だと思うから。


政治は、いつもすぐ身近にあるものだし、宗教教育はやはり必要だと思う。

歴史的にも世の中を変える大きな力は、いつの時代も政治と宗教にあった。

このところ、かなり現実逃避型の生活をしていて、

「子育て支援の究極の目的は、政治参加する市民を育てることだ!」などと息巻いていた。

そんなことを熱く語るかなりヤバイ奴だったのだけれど、

いざ、現実に戻ると何も変わらない穏やかな日がある。

ウ~ンでも、これから世の中は、どうなっていくんだろう。

今生きる子どもたちと、これから生まれてくる子どもたちのために先憂後楽でいきたい。




mother stepの体験講座と

某センターでの乳幼児と暮らす母親向けエクササイズ講座を終えて、感じたこと。

産後のリハビリプログラムを本当に必要としている人に届けるためには、

4回連続クラスの開催が、一番の近道だということ。

 

本人がその必要性を感じているかどうかは別にして、

経済的、時間的、精神的に余力がある場合は特に4回通しのクラスへの参加によってこそ、

ネクストに出会うことができる。

 

脳からの指令がうまく伝わらない自分のカラダについて、

そのイメージさえもつかめないまま放置すること、

無防備過ぎるために持てる力を表現できない、

そんな状態でいることに何の躊躇いも感じない、気付かない・・・

これは、カラダだけの問題じゃなく、生き方にもつながっているんじゃないかと。

取り巻く環境から発せられる情報の中に埋もれていると忘れがちだが、

流されていくだけではなく、その中をくぐり抜けることによって、

情報の質さえも変化する。

例えば体験講座を受けて、一度で食いついてくる人というのは、

ココロやカラダについてそれに反応するだけのおもいや積み重ねがある場合が多い。

ギリギリのところにいるからこそ見えてくるものがある。

もがいてもがいて、何とか這い上がることができる人。

そんな人が、一番に反応してくる。

だからこそ、このプログラムが必要なのだけど、

それだけでは足りないとおもうのだ。

どこかに余裕があり、自分のキャパを意識し、

余力を世の中に生かすことができる人の存在が求められているのではないか。

小さいこどもたちと暮らす女性たちからは

「仕方ないよね~歳だから・・・子持ちだから・・・もともと違わない?、何コレ??」

といった笑いにして終わらせてしまおうとする声がよく聞かれるけれど、

これは、本人にとっても、近しい人たちにとっても、社会にとっても、もったいないこと。

物質的には恵まれすぎている今の時代、意識的に箍をつくらないと、

流れ流され、あっという間に時は過ぎていく。

時間が流れたことさえも気付かないほど、モノと情報に溢れている。

その先、欲を言えばその先の先にあるものに出会うためには、

とりあえず通り抜けて味わってみることも必要。

産後という、良くて人生に数回しか味わえない時期に、何をおもい、誰と出会うか。

 大袈裟だけれど、これからの生き方を考えるきっかけになりたい。

ひとつの出会いとしてのクラスでありたい。

あえて箍になろうとおもうのだ。




この秋最後、3回目の運動会が終わった。

運動会のほかにも、地域のお祭りや文化行事、スポ少の試合や遠足・・・、

秋は予定が目白押し。

毎週お弁当作って、敷物とお茶を持って、号令かけて、朝からドタバタ大騒ぎ。

私は基本的にお祭り大好き人間なので、

そういう場に出向くこと自体は気にならないのだが、

それでも、子ども4人連れ、日によって夫なしという状況はちと辛い。

友人や、ご近所のおばちゃん、時には、こどもの友人や、見ず知らずの方にまで、

あれこれ世話を焼いてもらっている。

すべてをひとりで担おうとしたら、楽しむどころの話じゃないから、本当にありがたい。

今のところ、こういう場面では、わたし達家族、お世話になりっぱなしで、

ギブ&ギブのことが多いけれど、どこかでしっかり恩送りをしていかなきゃね。

夕食後、仕事で参加できなかった夫と、この楽しさを少しでも共有できればと

撮ったはずの画像を再生したら、中身は地面や空、髪の毛や服地のアップが中心。

「頑張れ~!いけ!いけ~!」という半ばかすれた声が、やけに大きく響いていた。

ビデオカメラ片手に声援を送るのは本当に難しい。

またかと、呆れ顔の夫には、申し訳ないけれど、楽しかったな~


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