子どもの頃は、何をするにも一緒というのが、友達のしるしだと思っていた。
学校にいるときも、家に帰ってからも一緒。

手を繋いで登下校をしたり、何をするにも、まずこの子と一緒という、

暗黙の了解みたいなのがあって、

反面それはとても脆いものだということも感じていて、

結構しんどかった記憶がある。



我が家に集う子どもたちを見ていると、ホントに十人十色。

色んな子たちの色んな人間関係。

ひとりでいるのを好む子、何でも自分の思い通りにしたい子、

どんな相手でも、難なく合わせることができる子、

場の雰囲気を感じて、仲を取り持つ子・・・



そんな子どもたちを眺めながらおもう。

誰とでも、わけ隔てなく仲良しになれる子もいるかもしれない。

そして、おとなになれば、「おつきあい」も必要になってくるだろうが、

こどもたちには、ケンカしたり、仲直りしたりしながら本音で付き合える

友人関係を築いて、味わってほしい。



「たくさんの友達がいて、誰とでも仲良く遊べる子」だって、実は孤独かもしれない。

いつも一緒の仲良しがいることで、追い詰められているかもしれない。



ひとりひとりが大切にされてその後に築いていけるのが友達や仲間との関係だ。

相手あっての友人関係、本人だって思い通りにはできないもの。

子どもの一番身近にいる大人として、せめて

「たくさんの友達と仲良く遊べる子になってほしい」

というプレッシャーは与えないようにしていきたい。

小4の息子は昨日、組寺の御住職8人に混じって、施食会でおつとめをさせていただいた。
今年で2年目になるが、色々な方から、お声をかけて頂いて、本人もまんざらでもない様子。

こんな貴重な体験をさせていただけるのは、寺というところに身を置いているからこそ。

施食会終了直後は、達成感で手がつけられないほど元気だったのが、

9歳の子どもにとって、休憩を挟みながらといっても、

8時から5時までの数時間、読経するということは大変な気力と体力を要することらしく

今日は、朝から抜け殻状態、一日ゴロゴロしている。



快適なことが、当たり前になっている今の世の中、

それ自体の善し悪しはさておき、お腹が減って、フラフラになるとか、

暑さや、寒さに耐えるとか、欲しくても手に入らないとか・・・

子どもに時代に当たり前に我慢するという体験が減ってきているとおもう。

親としてそういう状況を設定するというのは、難しい。

遊びたいのに遊べない、眠たくて起きたくないのに起きなければならないとか、

そんなマイナスの我慢はしてるかもしれないけど(この線引きは、人によって違うでしょうが)、

ただの意地悪にならず、感情的にならずに、目的が何なのかをしっかりと押さえて上で、、

無理なく我慢できる環境を設定してあげることが理想だとおもう。

ホント、あくまで理想ですが。

夕食後。スイカを食べました。やっぱり次女のつぶやき。

ブツブツブツ・・・「白い種は、あかちゃん。黒いのは大人だね~。

人間もあかちゃんは、ふわふわ。大人は硬いもんね~。

お父さんは硬い。お母さんはちょっと硬いよ~」ブツブツブツ・・・

へっ?硬いって、どのへんが?

こどもたちの長期休暇と重なる盆正月、そして、春秋の彼岸は、試練の時。

この時期は、普段助けてもらっている友人達も、旅行に行ったり帰省したり、

頼みの綱である夫実家も同じく寺院ということで、頼りにできない。

まったくの人手不足。

ちょっとしたプライドが邪魔をして、それを補う術やネットワークを、いまだに構築していない。

子どもとともに、家事の傍ら、お寺の雑務。

一番の協力者である夫は、棚経やら、組寺の施食会で、いないことが多い時期。

一緒に楽しむ余裕なんかどこへやら。

気付くと、ドスの効いた声で、こどもたちを半ば脅していたりしている。



子どもは子どもなりに、

きりきり舞いしている親の姿を理解していて、

お寺のお庫裏さんの(相当、切羽詰まった感じになってる)

顔をしている母のところには、末っ子も寄り付かない。

そのかわり、といったら何だが、夜中に何度も目を覚ましたり、

ダダをこねたり、熱を出したり・・・

こんな時は、溜め込むタイプ子にしわ寄せがいってしまう。



きちんと向きうことが、何よりも必要と分かっていながら、

それができない自分と周囲の状況に振り回されている。

もどかしくて、不安になりながら

この8年間、何とかかんとか乗り越えてきた。



色々な思いがグルグルまわる。

それがいいのか悪いのかは分からないが、

子どもたちは、自分達が暮らす環境の中で、そのように成長している。

大人が感じるよりも、たくさんのものを感じているように見えるし、

やわらかで柔軟性がある。

どんな時でも、笑いを忘れないし、強くて優しい。



それなのに、大人である私ときたら、

多くのことを求めすぎたり、与えすぎたり・・・

何度も同じような失敗を繰り返しては、その度に寛容に許してもらっている。





子どもを育てながら、働くことを選択し、そんな私に協力してくれる夫と4人の子どもたち。

今には、必ず意味がある。

大変な時だからこそ、ココロに留めておきたい。

和顔でいこう!

昨日の日記、何だか良くわかんないことになっていたので、ちょっと訂正。
今の私の立場といえば、責任が及ばないのではなく、

決定権はないけれど、責任は負わされる状況、

かつ決定権を持つ者の気持ちを汲んだ対応が望まれる。

これをこなすには、気力が必要。

で、もうひとつ。

お茶だしするのに片道100mの炎天下の砂利地を日に何十回も往復する

という何とも不条理な作業をこなすには、体力が必要。



8年前、どうすればここから逃げ出すことができるだろうと、いつも考えていた。

今は、この状況を、何とか丸呑みしてる。だから消化不良。

もうひといき、受け入れて消化してしまおう、と思う。

今日の名古屋地方は、晴れ、今年一番の暑さでした。
お参りされた方500余人のお施食会、終わりました。

明日から、夫と息子は、棚経。

これからが夏本番です。

自分の責任の及ばないところで、ひとつひとつ細々したことをこなしていくには、

体力が必要。

夏ばて対策もかねて、身体に向き合い、動かしていく予定です。

心身ともに消耗状態で、眠たいはずなのに眠れない。

こんなときは、焚き火をしたいなぁ~、と密かに思う。

欲を言えば、川のせせらぎをききながらね。

ひとりで、火を見つめるもよし。

火を囲んで、誰かと黙って向かい合うもよし。

(コトバにすると、かなりサムイけど)歌うもよし、踊るもよし。



焚き火、したい。

相当疲れてます、わたし。

明日は、施食会。

お盆が済んだら、山へ行こう!

長男が友達の家にお泊りに行き、
昨夜から我が家は3人娘5人家族、とても穏やか。

家の中で、ボールが飛び交うことはないし、組み合わせが少ない分ケンカも少ない。

何するにも一呼吸する余裕があるような気がする・・・

けど、これはあくまで主観の問題。



子どもひとりのときは、それで手一杯だったし、

自分の時間がない!ない!って、大騒ぎしてた。

2人のときは2人のときで、3人のときは3人のときで、

いっぱいいっぱいって、感じだったし、

4人になれば4人になったで、大変なような気がしているけど、

もし仮に、我が家にもうひとり子どもが生まれたら、

今の状況が優雅に感じられるのだろう。

人間の主観なんていい加減なもの。

慣れは恐ろしい、いや、慣れはありがたい。



小さな子どもがいると「今じゃなきゃダメ!」と思う自分が、

とても我がままに感じるし、周囲からは、

「もう少し待てないの?」「今じゃなくたっていいじゃない。」という声。

でも、子育て終わったら、子どもの手が離れたら・・・

なんて思っていたら、ホントにあっという間に、時は流れてしまうのも事実。



母である女性が真剣に何かに取り組むには、手放すこと、

あきらめること、そして、踏ん張るところは踏ん張る覚悟が必要だとおもう。

子どもが生まれることで、ココロも身体も、置かれた状況や立場も大きく変化する。

なのに、向き合わなければ向き合わないで、何となくすり抜けてしまえる時期。

裏を返せば、きちんと向き合って、考えれば考えるほど苦しくなってしまう時期でもある。

それまでの自分の生き方とか、周囲とのコミュニケーションのとり方とか、

これから何をして生きていくかとか、

自分の身体のことココロのこと、パートナーを含めた周囲の人との関係・・・

小さな子どもがいる状況で、そのこの親として、

ひとりのおとなとして、何をしていくべきか?

ギリギリのところで、見極めて、選択をして、切り抜けていく、という感じ。



こんなときにこそ、

おとなの時間とこどもの時間は、同じ速さでは流れていないということ、

守るべき存在を持つ立場であることを忘れずにいたい。

子どもと長い時間を共有するからこそ、心地のいいものも、

そうじゃないものも含めて、感じることがあるということを忘れずにいたい。



時を追うごとに、目に見えて成長していく存在であるこどもは、

おとなとしての自分の成長を見極める、尺度にもなってくれるありがたい存在だと思う。

長男が友達の家にお泊りに行き、
昨夜から我が家は3人娘5人家族、とても穏やか。

家の中で、ボールが飛び交うことはないし、組み合わせが少ない分ケンカも少ない。

何するにも一呼吸する余裕があるような気がする・・・

けど、これはあくまで主観の問題。



子どもひとりのときは、それで手一杯だったし、

自分の時間がない!ない!って、大騒ぎしてた。

2人のときは2人のときで、3人のときは3人のときで、

いっぱいいっぱいって、感じだったし、

4人になれば4人になったで、大変なような気がしているけど、

もし仮に、我が家にもうひとり子どもが生まれたら、

今の状況が優雅に感じられるのだろう。

人間の主観なんていい加減なもの。

慣れは恐ろしい、いや、慣れはありがたい。



小さな子どもがいると「今じゃなきゃダメ!」と思う自分が、

とても我がままに感じるし、周囲からは、

「もう少し待てないの?」「今じゃなくたっていいじゃない。」という声。

でも、子育て終わったら、子どもの手が離れたら・・・

なんて思っていたら、ホントにあっという間に、時は流れてしまうのも事実。



母である女性が真剣に何かに取り組むには、手放すこと、

あきらめること、そして、踏ん張るところは踏ん張る覚悟が必要だとおもう。

子どもが生まれることで、ココロも身体も、置かれた状況や立場も大きく変化する。

なのに、向き合わなければ向き合わないで、何となくすり抜けてしまえる時期。

裏を返せば、きちんと向き合って、考えれば考えるほど苦しくなってしまう時期でもある。

それまでの自分の生き方とか、周囲とのコミュニケーションのとり方とか、

これから何をして生きていくかとか、

自分の身体のことココロのこと、パートナーを含めた周囲の人との関係・・・

小さな子どもがいる状況で、そのこの親として、

ひとりのおとなとして、何をしていくべきか?

ギリギリのところで、見極めて、選択をして、切り抜けていく、という感じ。



こんなときにこそ、

おとなの時間とこどもの時間は、同じ速さでは流れていないということ、

守るべき存在を持つ立場であることを忘れずにいたい。

子どもと長い時間を共有するからこそ、心地のいいものも、

そうじゃないものも含めて、感じることがあるということを忘れずにいたい。



時を追うごとに、目に見えて成長していく存在であるこどもは、

おとなとしての自分の成長を見極める、尺度にもなってくれるありがたい存在だと思う。

夫とふたりでお出かけのため、子どもたちは夫実家へ。
4人の子どもをまとめて長時間お願いするのは、やっぱり実家が一番気楽。

養父母には、まさか頼めないし、母実家は、はるか800キロ遠方。

そんなこんなで、車で1時間の夫実家に。

長男が生まれた当時、夫は単身赴任中。

その頃はまだ、歩いて10分のところに住んでいた。

毎日、夕飯の前に上がりこんで、ご飯食べさせてもらって、

まだフニャフニャのころから、長男をお風呂に入れてもらい、

ついでに私もお風呂をもらって、

家に帰って寝るだけ、という生活を1年半も続けてたっけ・・・

夫実家には、大ばあちゃん、じいちゃん&ばあちゃん、義兄夫婦と娘3人。

8人に三男の嫁+孫6号が、増えたところで何のその、という感じだった。

そんな中で、大きくなった長男は、まるで自分の家のように、恋しがる。

いとこのお姉ちゃん達のことも大好きで、今でもじゃれ合ったりする。

そりゃ義理の関係、色んな気持ちの行き違いも、あるにはあるけど、

そんなこと帳消しにしてしまうくらい、あたたかい関係性がある。

地縁も血縁もみ~んな大事。

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