昨日の日記、何だか良くわかんないことになっていたので、ちょっと訂正。
今の私の立場といえば、責任が及ばないのではなく、

決定権はないけれど、責任は負わされる状況、

かつ決定権を持つ者の気持ちを汲んだ対応が望まれる。

これをこなすには、気力が必要。

で、もうひとつ。

お茶だしするのに片道100mの炎天下の砂利地を日に何十回も往復する

という何とも不条理な作業をこなすには、体力が必要。



8年前、どうすればここから逃げ出すことができるだろうと、いつも考えていた。

今は、この状況を、何とか丸呑みしてる。だから消化不良。

もうひといき、受け入れて消化してしまおう、と思う。

今日の名古屋地方は、晴れ、今年一番の暑さでした。
お参りされた方500余人のお施食会、終わりました。

明日から、夫と息子は、棚経。

これからが夏本番です。

自分の責任の及ばないところで、ひとつひとつ細々したことをこなしていくには、

体力が必要。

夏ばて対策もかねて、身体に向き合い、動かしていく予定です。

心身ともに消耗状態で、眠たいはずなのに眠れない。

こんなときは、焚き火をしたいなぁ~、と密かに思う。

欲を言えば、川のせせらぎをききながらね。

ひとりで、火を見つめるもよし。

火を囲んで、誰かと黙って向かい合うもよし。

(コトバにすると、かなりサムイけど)歌うもよし、踊るもよし。



焚き火、したい。

相当疲れてます、わたし。

明日は、施食会。

お盆が済んだら、山へ行こう!

長男が友達の家にお泊りに行き、
昨夜から我が家は3人娘5人家族、とても穏やか。

家の中で、ボールが飛び交うことはないし、組み合わせが少ない分ケンカも少ない。

何するにも一呼吸する余裕があるような気がする・・・

けど、これはあくまで主観の問題。



子どもひとりのときは、それで手一杯だったし、

自分の時間がない!ない!って、大騒ぎしてた。

2人のときは2人のときで、3人のときは3人のときで、

いっぱいいっぱいって、感じだったし、

4人になれば4人になったで、大変なような気がしているけど、

もし仮に、我が家にもうひとり子どもが生まれたら、

今の状況が優雅に感じられるのだろう。

人間の主観なんていい加減なもの。

慣れは恐ろしい、いや、慣れはありがたい。



小さな子どもがいると「今じゃなきゃダメ!」と思う自分が、

とても我がままに感じるし、周囲からは、

「もう少し待てないの?」「今じゃなくたっていいじゃない。」という声。

でも、子育て終わったら、子どもの手が離れたら・・・

なんて思っていたら、ホントにあっという間に、時は流れてしまうのも事実。



母である女性が真剣に何かに取り組むには、手放すこと、

あきらめること、そして、踏ん張るところは踏ん張る覚悟が必要だとおもう。

子どもが生まれることで、ココロも身体も、置かれた状況や立場も大きく変化する。

なのに、向き合わなければ向き合わないで、何となくすり抜けてしまえる時期。

裏を返せば、きちんと向き合って、考えれば考えるほど苦しくなってしまう時期でもある。

それまでの自分の生き方とか、周囲とのコミュニケーションのとり方とか、

これから何をして生きていくかとか、

自分の身体のことココロのこと、パートナーを含めた周囲の人との関係・・・

小さな子どもがいる状況で、そのこの親として、

ひとりのおとなとして、何をしていくべきか?

ギリギリのところで、見極めて、選択をして、切り抜けていく、という感じ。



こんなときにこそ、

おとなの時間とこどもの時間は、同じ速さでは流れていないということ、

守るべき存在を持つ立場であることを忘れずにいたい。

子どもと長い時間を共有するからこそ、心地のいいものも、

そうじゃないものも含めて、感じることがあるということを忘れずにいたい。



時を追うごとに、目に見えて成長していく存在であるこどもは、

おとなとしての自分の成長を見極める、尺度にもなってくれるありがたい存在だと思う。

長男が友達の家にお泊りに行き、
昨夜から我が家は3人娘5人家族、とても穏やか。

家の中で、ボールが飛び交うことはないし、組み合わせが少ない分ケンカも少ない。

何するにも一呼吸する余裕があるような気がする・・・

けど、これはあくまで主観の問題。



子どもひとりのときは、それで手一杯だったし、

自分の時間がない!ない!って、大騒ぎしてた。

2人のときは2人のときで、3人のときは3人のときで、

いっぱいいっぱいって、感じだったし、

4人になれば4人になったで、大変なような気がしているけど、

もし仮に、我が家にもうひとり子どもが生まれたら、

今の状況が優雅に感じられるのだろう。

人間の主観なんていい加減なもの。

慣れは恐ろしい、いや、慣れはありがたい。



小さな子どもがいると「今じゃなきゃダメ!」と思う自分が、

とても我がままに感じるし、周囲からは、

「もう少し待てないの?」「今じゃなくたっていいじゃない。」という声。

でも、子育て終わったら、子どもの手が離れたら・・・

なんて思っていたら、ホントにあっという間に、時は流れてしまうのも事実。



母である女性が真剣に何かに取り組むには、手放すこと、

あきらめること、そして、踏ん張るところは踏ん張る覚悟が必要だとおもう。

子どもが生まれることで、ココロも身体も、置かれた状況や立場も大きく変化する。

なのに、向き合わなければ向き合わないで、何となくすり抜けてしまえる時期。

裏を返せば、きちんと向き合って、考えれば考えるほど苦しくなってしまう時期でもある。

それまでの自分の生き方とか、周囲とのコミュニケーションのとり方とか、

これから何をして生きていくかとか、

自分の身体のことココロのこと、パートナーを含めた周囲の人との関係・・・

小さな子どもがいる状況で、そのこの親として、

ひとりのおとなとして、何をしていくべきか?

ギリギリのところで、見極めて、選択をして、切り抜けていく、という感じ。



こんなときにこそ、

おとなの時間とこどもの時間は、同じ速さでは流れていないということ、

守るべき存在を持つ立場であることを忘れずにいたい。

子どもと長い時間を共有するからこそ、心地のいいものも、

そうじゃないものも含めて、感じることがあるということを忘れずにいたい。



時を追うごとに、目に見えて成長していく存在であるこどもは、

おとなとしての自分の成長を見極める、尺度にもなってくれるありがたい存在だと思う。

夫とふたりでお出かけのため、子どもたちは夫実家へ。
4人の子どもをまとめて長時間お願いするのは、やっぱり実家が一番気楽。

養父母には、まさか頼めないし、母実家は、はるか800キロ遠方。

そんなこんなで、車で1時間の夫実家に。

長男が生まれた当時、夫は単身赴任中。

その頃はまだ、歩いて10分のところに住んでいた。

毎日、夕飯の前に上がりこんで、ご飯食べさせてもらって、

まだフニャフニャのころから、長男をお風呂に入れてもらい、

ついでに私もお風呂をもらって、

家に帰って寝るだけ、という生活を1年半も続けてたっけ・・・

夫実家には、大ばあちゃん、じいちゃん&ばあちゃん、義兄夫婦と娘3人。

8人に三男の嫁+孫6号が、増えたところで何のその、という感じだった。

そんな中で、大きくなった長男は、まるで自分の家のように、恋しがる。

いとこのお姉ちゃん達のことも大好きで、今でもじゃれ合ったりする。

そりゃ義理の関係、色んな気持ちの行き違いも、あるにはあるけど、

そんなこと帳消しにしてしまうくらい、あたたかい関係性がある。

地縁も血縁もみ~んな大事。

今朝は2週間に一度の早起きの会。

初参加の子もいて、古株勢は先輩顔で、読経の声もちょっと違っていた。

会が終わってから、昨日からお泊り参加のTくんと、息子の同級生Yくんを含め8人での朝食。

4年生3人組みは、今日の計画をあれこれ練っていたのだけれど、

実現は難しかったらしく、お決まりのお片づけタイムをみんなで済ませると、

夏休みの日誌に載っていた、食塩水に卵を浮かせる実験(4年生)と

朝顔の叩き染め(1年生)をワイワイ楽しんでいた。

こうやってやると宿題も楽しいよね~

ひとしきりウチ遊びが終わると、1歳の三女も交えて、

裏の畑からとってきたカマキリをブランコに乗せてみたり、

捕まえてきたタニシやおたまじゃくしと遊んでいた。

こんな時は、1歳10ヶ月から10歳まで6人のこどものいろんな関係性があって、

そのやり取りで、社会性が身についていくんだろうな~

などと思いながら、ケガとうんちのオムツがえ以外は、手も口も出さずに眺めている。

それにしても、バッタとカマキリが家の中で飛び跳ねた時には流石にギョッとした。

そんなわけで、こんな日は、大事なお客が帰られてから、掃除に精を出すことに決めている。


今日は、ダンスのレッスン日だった。

ヒップホップ系のジャズダンスということなのだが

何がどう違うのかさえも??な初心者が、ちょっと思ったことを・・・

まず専門家の目から見ると、今の私の身体、全くイケてないらしい。

例えば、ターンの時の腕(僧帽筋上部をストレッチしようとすると、

三角筋の力まで抜けてしまうとか)

バーレッスン時の上体のブレ(肩甲骨を内転すると、腹直筋上部が緩んでしまうとか)、

日常生活でついついとってしまう姿勢(アゴを前に出してしまう癖とか)、

そんなことに的確にチェックがはいる。

解剖学的なコトバはないが、みぞおちをつままれたり、あごをはじかれたりしながら、

気付かせてもらえる。

その度、鏡とにらめっこ。一瞬なら何とかできる姿勢も、維持するのは至難のワザ。

この頃の私は、骨・筋肉というコトバに敏感に反応してしまうのだが、

骨や筋肉のカタチを思い浮かべたり、

家に帰ってから解剖学のテキストを開いたりして確かめながら、

それはそれで楽しんでいる。

「ミセスのジャズダンス」なんてユル~イ講座名だから、油断していたが、

ここ尾張地方じゃ、厳しいことで有名な先生らしく、

週に2度3度、レッスンを受けている方々の中で、私はどうやら最年少らしい。

大人になると、特にいわゆる専業主婦になってしまうと、

狭い社会の中で自分の天下になってしまうことも多いので、

きちんとつっこみいれてくれる人の存在ってホントにありがたい。

そういう場に自分をおいてみることで、自分を客観的に見る目を保つことができる。

それにしても、ただ細いだけじゃない踊れる人の身体は、美しく魅力的だ。


久しぶりに会う友人と、某ファミレスで待ち合わせ。
彼女は、鈴木メソッドのピアノの先生、音楽療法士、NPプログラムのファシリテーター、
色んな顔を持つ、ふたりの孫のおばあちゃん。

この尾張地方独特の文化と私たちの今後を熱く語り合ったのだけれど、
周りは、夜の11時過ぎだというのに賑わっていて、
それも幼児連れの客の多いことといったら・・・
おまけにその子ら、やけに元気で食欲もある。なぜ?
昼間のファミレスの雑多とした状況は、よくよく目にしていたけれど、
何だか、変な世の中です。


Nobody's Perfect プログラムの普及版テキスト
親の気持ちに寄り添ってくれる育児書です。
完璧な親なんていない!

3女は週に2~3回、地元の公立保育園の一時保育を利用している。
次女が、通っている保育園なので、送りも迎えもふたり一緒。
今では、園での生活にも慣れて、とっても楽しそう!

長男は1歳半、長女・次女は2歳前後から保育園に通っているのだが、
3女は、何だか保育園に通わせるのがもったいなくて、
今のところ一時保育を選択している。

子どもが、保育園に通うことで、
大人は大人の時間を、こどもはこどもの時間をもつことができる。
保育士さんとのやり取りで、わが子の新たな面を発見したり、
四六時中一緒にいたら、見過ごしてしまうであろう成長が見えたりする。

ウチに限っていえは、ひとりの子としっかり向き合う時間がとれるのも嬉しい。
息子とふたりで映画を見にいったり、娘とお出かけ用の洋服を買いに行ったり、
ふたりっきりで折り紙したり、工作したり・・・
普段は4人の母親なのだがが、そのときは、ひとりだけのおかあさんになれる。
学校でのちょっとしたイザコザ話をボソッとこぼしたり、
しっかり者の長女が猫みたいになって、すりよってきたり、
普段はそれぞれ自分の立場を理解して、我慢していることもたくさんあるので、
そんな時こどもは、本当にいい顔をする

で、今日は末っ子の日。
朝からゴロゴロじゃれあったり、わらべうたうたったり、
これでもかっていうほど絵本を読んだり、
久々にベビーマッサージしたり、濃い時間を過ごすことができた。

毎日、ふたりきりで向き合っていては、息が詰まるこんなことも
こども達の存在をすっかり忘れて、大人として過ごす時間を持っているからこそ、楽しめる。

どんな時期にどんなところに子どもを託すか、というのは
保護者の就労状況や意識、その子の気質や、親子の相性、
周囲の大人たちの考え方、地域性・・・
一概に言えることではないが、
子どもを、自分ひとりで抱え込んでしまうのは、その親子はもとより、
社会全体にとっても良いことではないとおもう。
子どもは、周りの人を笑顔をする力を持っているからね。
子どもがもつかわいらしさを共有していくことで、
社会全体が優しくなっていくことも可能なのではないか、ともおもうのです。

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